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『逃亡くそたわけ』
『袋小路の男』
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『袋小路の男』
2004年10月 講談社刊
第30回川端康成文学賞受賞作品
「小田切孝の言い分」
「アーリオ オーリオ」同時収録
どきどきする。はらはらする。胸がずっと高鳴っている。物語に潜む強い力に引っ張られて、夢中で読んでしまう。最後まで一気に読んでから、最初のページに戻って、もったいない、もったいない、と思いながらゆっくりと読み直した。そうして私は「これは私だ、私の話だ」と思う。私の、恋の話。私はページをめくる。息を詰めてふたりの成り行きを見守っている。焦れたり、すこし憤ってみたりもする。でもいつか私は、今この小説を読んでいる第三者ではなくて、主人公の「私」その人になっていて、そわそわと「あなた」を待っている。「あなた」の一挙一動を見つめて、喜んだり、悲しんだり、ときに舞い上がり、また落胆し、萎縮し、ぬかよろこびし、ほんとうに涙がこぼれそうになったりする。
あとになって、川端康成文学賞の選考委員の評を読んだら、『袋小路の男』を自分の話だと思ってしまったのは私だけではなかったらしい。おんなの委員は異口同音に、『袋小路の男』がとても好きだが(たぶんそう感じているのは自分だけだろうから)受賞にはいたらないだろうと考えていた、というようなことを述べている。でも、受賞した。満場一致だった。誰もが、いつか辿った大切な恋を重ねてしまうらしかった。おとこの委員はもっと素直に、こんな人がいたらいいな、などと憧れたりしたようだ。一途で、感受性が豊かで、やさしくて、頭がいい。主人公も相手の小田切さんもすごく魅力的なのだけど、ふたりの間はねじれている。ねじれているのに、まっすぐなのだ。それが胸に刺さってくる。弱々しいのに、強くて、潔いのに、どこまでもしぶとい。
「 私」が高校一年生のときに出会った「あなた」、一学年上の小田切先輩との関係が丁寧に描き出されていく。新宿のジャズバーでの最初の出会いから鮮やかで、恋に落ちた瞬間の胸の震えが手に取るように伝わってくる。片思いが、現在に至るまで12年間続く。片思いといっても、近づいたり、遠ざかったり、名前のつけられないようなもどかしい間柄だ。それでも、「挨拶するのにも、つま先まで震えた」最初の頃から、大学生になって深夜にふたりでデニーズでコーヒーを飲み、「こんな時間に、ここであなたといることを誰も知らないのだと思うとヨロコビが体中をぐるぐる駆け巡った」頃を経て、就職し、大阪に配属になった主人公が「会社の帰り、造幣局のそばを歩きながら綺麗な月を見て、あなたも東京で同じ形の月を見ていたらいいな、と思った。私に神様はいなかったから、お月様に願った。あなたが、生きていて元気でありますように。」いいなあ。いいなあ。こういう初々しい気持ちを経験したことのない人がいるだろうか。遠くにいる、大好きな(でも心は通わない)人を思う気持ち。とはいえ主人公も、読んでいる私たちも、初々しいだけじゃなくてずいぶんいろんな気持ちを経験することになってしまう。ふたりが再会してからがまた大変な道のりなのだ。「私」の恋はイバラの道だ。ああ、だめだ、物語を追って書き連ねてしまいそう。全部引用したい。ここに全部書き出してしまいたい。(なんて野暮なんだろう。)
「あなたが夢に近づくことが、私にとってこんなにうれしいなんて知らなかった。」物語の終盤で主人公は思っている。主人公の気持ちの好さが響いてくる。胸が熱くなる。紆余曲折を経た上でなお、主人公がこう思っているということに胸が熱くなるのだ。人の思いの純粋さ、力強さが姿を現していて、人間にはまだ未来があると希望を持てるような、泣けそうになるくらい素晴らしいシーンだ。
詩人の荒川洋治が「文学は実学である」とどこかで書いていたけれど、『袋小路の男』を読むとそれが実際のこととして伝わってくる。文学は人が人として生きていくために必要な糧。たとえ、なんでこんなややこしい感情を持ってしまうのだろうと苦しむ恋であっても、そのなかで人の心の生き生きと輝くところを、ぎゅうっと濃縮して取り出して見せてくれる。生きていく力になってくれる。
併録は『袋小路の男』の続編『小田切孝の言い分』と『アーリオ オーリオ』。どちらも素敵だけれど、特に『アーリオ オーリオ』には、ぐいっと心の中に押し入ってくるような圧倒的な力があった。感服した。
by ミヤシタ
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