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『逃亡くそたわけ』 |
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2005年2月 中央公論新社刊 (書き下ろし単行本)
第133回直木賞候補 |
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『逃亡くそたわけ』は単純なストーリー構成であるのに反して、かなり重層的な主題が盛り込まれている。一度読んだだけでは、全てを掬すには及ばない。
小難しいことなんか考えないで小説なんだからさ。楽しく読めばいいじゃない。いいのよ、いいの、それでいいの。楽しい愉快な男女の逃亡劇でした。以上。
で終わらせて耳を塞ぎたい気分と「小説の読み方は読者の自由だ」という言葉に甘えてイロイロと言いたくなるような気分が強く同居する小説だ。
もし、あなたが小説家で「躁病患者が主人公の一人称小説」を書かないといけない状況だったらどうするでしょう。躁病患者が主人公ということと、一人称小説ということが同居できるかどうか、悩みますよね。だいたい、そんな設定どんな文体と親和性をもつのかが分からない。
しかし、この作家は、見事に小説化に成功しているのです。
「亜麻布二十エレは上衣一着に値する」
作品の冒頭で主人公を襲う、幻聴。
主人公の花ちゃん(花田、21歳、女)は、「テロトピン」という薬の副作用の辛さに耐えかねて、精神病院からの脱走を決意する。途中、病院の中庭で悲しそうな顔をしている同じ病院の患者、なごやん(蓬田司、24歳、男)を誘い、逃亡のお供に。
「ね、一緒に逃げよう」
ちょっと優柔不断で、東京かぶれの名古屋市名東区〈極楽〉生まれのなごやんの車で二人は〈南〉へ向かう。
読み進むと、読者は主人公の逃亡動機に怪しさを感じ始める。病院で強制的に与えられる「テトロピン」という薬から逃亡するのだと、初期に動機が提示されるのだが、実は違うんじゃないかと感じ始めるに違いない。では、いったい主人公は何から逃亡しているのだろうか。 「亜麻布二十エレは上衣一着に値する」、極楽、南、そして物語の終着地点の鹿児島。ウィットゲンシュタイン、マルクス、ヘーゲル。ちりばめられたキーワードを追っていくうちに絲山作品の読者であれば、この作品の主人公、花ちゃんと『アーリオ オーリオ』で登場する「哲」は、似た資質を持っていることに気づくかも知れない。
そして、花ちゃんとボクらは、全く同じ問題で、日々逃亡していることに気づかされる。さらに、すべての逃亡行為は最終的に「死」からの逃亡に帰着すると感じ始める。ボクらがなんらかの逃亡行為をしてしまうとき、背景に漠然とした「死」からの恐怖が配置されていたことに気づかされてしまう。そして、それが病理と呼ばれるようなところまで感受性が研ぎすまされているとき。
「亜麻布二十エレは上衣一着に値する」
になるのだ。自己が自己から離脱して、自分をいつも見下ろしている、相対化した視線。躁病患者が主人公の一人称小説。幻聴は、あまりにも健全な文体で、主人公が躁病患者であることを忘れかけていると、上から押さえつけるように登場し、同時に主人公自体の意識を浮遊させた状態にさせる。見事だ。
死からの逃亡という行為が、生への執着という反対側の視点で見直せば、戦闘的に見えるように、物語も後半そういう転回を迎える。主人公は、実際何から逃げているのか、理解しはじめている。〈病院=テトロピン=死〉から〈生=南〉に向かっての抽象的逃亡。
そして、物語の中である重要な契機を迎えた後、
「なごやんは?」
「俺、久々に服が欲しいな」
「あたしプラダが見たい」
「買ってやるよ」
「高いけんよかて。見るだけでも楽しかよ」
「こんな金全部使っていいんだよ。もう俺、多分ポルシェなんか買わないしさ」
になり、さらに、
何か大きなものが抜け落ちてしまったようだった。あたし達は黙ったまま、涼しい車で都市に入っていった。
になるのだ。
『逃亡くそたわけ』は、ボクらが現在、漠然としていて問題定義もできない問題。現代を覆っている、漠然とした文句のつけようのない正しさと、個人というエゴが一貫性を持てない状況を見事に映しだしている。そして、その敵キャラのいない不安の状況と、どうやって折り合いをつけていくのか、差別していくのかのヒントが散りばめられている。やや誇張された、ボクやワタシが間違いなくそこに居るのだし、読めばその心地よさは、間違いなく万人に与えられると確信できる。
「亜麻布二十エレは、亜麻布二十エレに値する」「上衣一着は、上衣一着に値する」世界と、「亜麻布二十エレは上衣一着に値する」世界が、同居する世界を垣間見る。
今、ボクは作品を読み終わって、身を縮めて突出した正義を掛け合い、窮屈で絶望的な空気をまき散らしている「ライブドア」の社長と「フジテレビ」の会長が、この作品を読んだら、少しは発言内容が変わるかなあ、いや背負っているものが多くて変われないかなあ、という妄想を楽しんでいる。
余談になるが物語の終盤、終着地点鹿児島で、とても魅力的なキャラクターが登場する。この小説は、このキャラクターを登場させるための、長い前振りだったような気にさせるし、このキャラクターでこの世は全てOK牧場じゃないかって気分にさせられる。たいへん気持ちがイイ。
By 洋一郎 |
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